「神楽の道は人の道」
どんなに人生に迷い、道を外したとしても
必ず正しい道を導く神が降りてまいります。
私たちは、相模里神楽垣澤社中です。
神奈川県厚木市にて伝統を継承してまいりました、今は数少ない家元世襲制の神楽社中です。
明治45年に創業し、東京から程よく離れた、自然豊かな厚木市という土地で育まれた私たちの芸は、おおらかながら躍動感のある、芝居めいた芸風であると評価されています。
相模里神楽垣澤社中は、100年以上の歴史があり、神奈川県厚木市の無形民俗文化財に指定されております。先代達の情熱と努力が今も脈々と受け継がれており、伝統を守りつつも常に新しいステージへのチャレンジ精神を持ち続けております。
1695年
神官萩原兵太夫が陰陽師の免状を受ける
1859年
萩原英之進(神事舞太夫)が相模一国の配札権を認可される
1873年
英之進は愛甲の地で神楽師として活躍し、三男祥太郎が神楽を引き継ぐ
1880年頃
垣澤鹿造は8歳より笛を学び、12歳で綾瀬市の本間平太夫に弟子入りする
1884年頃
笛の名手として「武相一の相模の小僧」と名を馳せる
1890年頃
鹿造と翔太郎の長女キチが結婚する
1990年頃
萩原家の後継者がおらず、神楽はキチの嫁入り先である垣澤家が引き継ぐ
1912年
相模里神楽垣澤社中を、初代垣澤鹿造が発足する
1947年
鹿造の四男である垣澤常蔵が二代目家元となる
1950年頃
芝居人気にあやかり「相模家劇団垣澤興行部」を発足する
1971年
厚木市指定無形民俗文化財に指定される
1987年
常蔵の四男であえる垣澤勉が三代目家元となる
1997年
里神楽ジュニアチームを発足し子供の育成に力を注ぐ
2007年
初の海外公演や地方公演を行い盛況となる
2015年
勉の長女である垣澤瑞貴が「みずき会」を発足する
2017年~
江戸流神楽や日本舞踊の要素を取り入れ、新作神楽も積極的に創作する
2020年
神楽を全世界に発信するために、様々なプロジェクトを開始する
守る父と変える娘。それは「変容」。
垣澤社中は現在、三代目家元が社中を運営しておりますが、世代交代という変革期を迎えております。それはまさにこれからの未来に神楽がどうやって生き延びていくかを命をかけて考える良いチャンスだと考えております。
新しい試みは、「変化」ではなく「変容」です。能や歌舞伎等の他の芸能も、常に切磋琢磨し知恵を絞り、現況は100年とはもはや形が異なっています。それは芸能が変わりゆく時代を生き抜いていくために必要不可欠な要素なのです。
いつでもご先祖様や皆々様への感謝を忘れずに私どもは舞台を務めております。
垣澤社中
三代目家元
垣澤 勉
二代目垣澤常蔵に師事。
神奈川県民俗芸能保存協会会長。
25歳で笛を学ぶという遅咲きであったが、本来の器用さと才能で、楽器演奏に留まらず、舞方もすべてこなす。
特に力強い男舞には定評があり、
相模流の色濃い舞を踊る数少ない神楽師の一人である。
後継者育成・神奈川県の民俗芸能活動支援に尽力を注ぐ。
神楽業界全体の向上を願い、
娘の活動を全面的に支援している。
垣澤社中代表
みずき会代表
垣澤 瑞貴
相模流里神楽を三代目家元垣澤勉に師事、
相模流里神楽を高見進氏に師事。
國學院文学部史学科を卒業し、
在学中に青葉雅楽会にて雅楽を学ぶ。
日本初の、舞方も囃子方もすべてこなす
マルチ女性神楽師。
弟子育成だけに留まらず、企画や舞台演出、振付指導など、活動は多岐にわたる。メディア出演はCM・テレビ・映画など。舞台出演は横浜能楽堂・にぎわい座・彩の国芸術劇場・国立劇場・山本能楽堂etc
垣澤社中のふるさとは、
神奈川県厚木市という場所です。
我々の拠点である厚木市は神奈川県のほぼ中央、一級河川の相模川と丹沢大山に挟まれたエリアに位置します。
都心からほどよい距離の厚木市ですが、実は丹沢山系の東端に位置しているため、自然豊かで四季折々の風景を楽しめる環境です。温泉郷も数多くあり、観光客もにぎわっています。
垣澤社中は、昭和46年に厚木市の無形民俗文化財に指定されました。名誉ある指定を受け、厚木市にとってより良い遺産となるよう、我々は厚木市とともにこれからも芸を育んでまいります。
ぜひ厚木市の素晴らしい風景をお楽しみいただき、この地だからこそ我々の芸の豊かさが発展したことをご想像いただければ幸いです。
photo by 大坪政文(厚木市民リポーター)